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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

東北・上越新幹線について2

東北・上越新幹線の車両

200系(1982年デビュー)

1980(S55)年10月31日、最初の編成(0番台)が12両編成で落成。 1982(S57)年の開業の時までに、E編成36編成432両導入されていた。当時の最高速度は、かつての東海道・山陽新幹線と同様の210Km/h 当時の所要時間  大宮~盛岡間 3時間17分、大宮~新潟間 1時間45分

車体は0系ベース、アルミ製、でボディマウント方式であり、車端部に雪切り室があることも特徴である。 0系と同様オールM車。
あとは、上越新幹線の急勾配区間にも対応している。

当初普通車の座席のうち3人用の座席は、東海道・山陽新幹線の0系の後期型みたく、回転(方向転換)することが出来なかったので、場合によって後ろ向きになることを余儀なくされていた。座席は簡易リクライニングシートだった。グリーン車の座席は、0系後期型と同様のワインレッド 当初、7号車にグリーン車、9号車にビュッフェ、身障者対応設備があった。
トイレは、0系と同様に奇数号車にあり、7号車(グリーン車)と9号車に洋式トイレがあったほか、すべて和式だった。 200系は、和式トイレが主流だった旧国鉄時代に登場した車両のため、東北・上越新幹線で唯一和式トイレのある車両形式となった。

こちらは豪雪地帯も高速で走り抜ける優れものの新幹線である。 

200系の製造メーカー 日車、川重、日立、近車、東急 第一号編成は、日本車輌で落成されていた。

200系新幹線は、熊本市電の8200形電車(国産初のVVVF路面電車)とともに、1983(S58)年度のローレル賞を受賞していた。

1983(S58)年には、240Km/h対応など、仕様変更された1000番台、翌年の1984(S59)年に1500番台が登場し、1985(S60)年3月14日の上野~大宮間の開業の時までに21編成導入されていた。
1500番台は、先頭車のみの形式で、1983(S58)年に導入された1000番台の先頭車と比べて客室が座席1列分拡大されている。

既存のE編成の一部のF編成(240Km/h対応)化も行われるようになった。

上野開業の時点での最速所要時間 上野~盛岡間 2時間45分、上野~新潟間 1時間53分 当然のことながら、所要時間が大幅に短縮されている。

JR化直前の1987(S62)年3月には、不足する先頭車を補うため、2000番台の先頭車4両が登場。4両は、12両編成のF編成(F52、F58)の先頭に立っていた。種車は、E28、E31編成で、捻出された先頭車は、短編成化の時に転用されていた。

2000番台は、東海道・山陽新幹線の100系と同様のマスク(シャークノーズ)となっており、3列シートも回転するようになっていた。こちらは、旧国鉄で最後の新製車となっていた。

1987(S62)年には、乗車率の良くない上越新幹線のとき号の編成短縮、12両→10両化が行われるようになる。 10両化された編成は、E編成からG編成となった。10両10編成100両組成。

そのうちのG28編成は、2000番台の登場により、捻出された旧E28編成の先頭車に、10両化に伴って捻出された中間車をドッキングした編成となっていた。

旧31編成に使用されていた先頭車は、この時に組成されたF66(のちのF59)編成に転用されていた。中間車は、10両化に伴って捻出された車両である。

1988(S63)年3月のダイヤ改正では、240Km/hのスーパーあさひ号(当時)にも使用されていた。

この時からは、とき号のG編成が10両から8両に短縮され、捻出された先頭車から改造された200番台の先頭車も登場していた。10両10編成から、8両8編成、12両3編成に。

この200番台の先頭車は、2000番台と同様、100系タイプのマスクとなっている。
そのうちのG26、27、29編成は、捻出された中間車2両を組み込み、12両編成(F41~43編成)に戻されていた。そのうちのF42編成は、早くも200番台の先頭車に差し替えられていた。

旧G27編成の先頭車は、別の中間車で組成された2代目G27編成の8両編成へ
この時から8両のG編成のグリーン車が、半室グリーン車化されるようになった。あとは、ビュッフェの営業休止、客室化も行われている。

さらに、1989(H1)年11月からは、東北新幹線のあおば号(当時)も8両編成化され、それから捻出された中間車が活用されてやまびこ号の13両(のちの16両)の種車に回されていた。
先頭車改造の200番台も増えていた。

1990(H2)年3月のダイヤ改正で、一部の下り列車で275Km/h運転が行われたのに伴い、200系F編成のうちの4編成が改造され、F90番台の編成となっていた。 F90~93 改造は、パンタグラフの移設など。

1990(H2)年6月23日(東北新幹線の開業記念日)には、2階建て車両も登場、1両組み込まれて13両の暫定編成が6編成登場。 最初に登場した2階建て車両は、2階部分がグリーン席、1階部分が1、2人用グリーン個室、4人用普通個室、トイレ・洗面所が完備されていた。F42、43、52、55、57、58編成がそれぞれH1~H6編成となる。

13両化された200系のうち、H6編成だけは、200系の0番台の先頭車がそのまま使われていたけど、翌年には、200番台(先頭車改造車)に差し替えられていた。

翌年の1991(H3)年には、カフェテリア付きのもう1両の2階建て車両と、8両化により捻出された普通車2両を組み込み、16両編成化された。
これらの編成は、東海道・山陽新幹線の100系に良く似た編成となっていた。
当時、11号車のグリーン車はそのままとなっていたので、グリーン車が3両連結されていた。

これらの2階建て車両は、JR東日本になって後に製造された200系で、東北新幹線初の普通鋼製、付随車ととなっていた。 トイレは和式が廃止され、洋式に統一されていた。
200系は、この時までに700両製造されていた。

グリーン車の3両連結は、ビジネス客主体でグリーン車需要の多い、東海道・山陽新幹線にも受け継がれている。

東北・上越新幹線の東京開業の時点で、グリーン車が7号車から11号車に変更された。 
これにより、1号車から6号車までの乗客が、グリーン車を通り抜けずにビュッフェに行くことが可能となっていた。

1992(H4)年7月1日に開業した山形新幹線との併結用列車として、12両編成の200系F編成のうちの10編成が、8両編成に短縮されたK編成の11編成となる。(グリーン車は5号車で一部はH編成から転用されていた) H編成の11号車は、普通車に差し替えられ、グリーン車は2階建てのみとなった。これまでH6編成に連結された先頭車は、K10編成に転用。

同時に、K編成の仙台・盛岡寄りの先頭車に連結器が新設されていた。7号車はは全てビュッフェ車から改造されている。

1993(H5)年10月、残ったE編成のF編成化が完了し、12両固定編成はすべて240Km/h対応編成となっていた。

この時からビュッフェの営業列車の削減が行われ、普通車改造は、1996(H8)年まで続けられ、2002(H14)年にビュッフェが営業終了されるまで、そのまま営業されていた。

1997(H9)年3月22日、秋田新幹線こまち号の開業により、同日デビューしたE2系のほか、200系も併結列車に充当されたため、F編成のうちの11編成(F1、2,3、10、11、12、13、15、18、20、21編成)が、10両化・連結器の新設改造された。捻出した中間車2両は、既存のK編成に組み込まれ、8両から10両編成となった。

この年から、200系の廃車が、G43編成を皮切りに行われるようになり、そのうちのG43編成の4号車に連結されていたM226-63号車が、長野新幹線乗り入れ用軌道検測車(E921-32号車)に改造されていたけど、2002(H14)年12月8日をもって廃車となっていた。

これ以降、E2系やE4系の追加導入により、210Km/hまでしか出せない8両編成のG編成が順次廃車となり、1999(H11)年4月に定期運用から離脱、同年12月6日のG28編成をもって全廃となった。 東北新幹線からの撤退は、1998(H10)年12月8日の改正のことだった。

1998(H10)年2月に開催された長野オリンピックの時には、200系の1編成(F17)編成が、長野新幹線乗り入れ対応の改造を受け、オリンピック輸送に使用されていた。

改良の内容は、50/60Hz対応、長大勾配対応化、先頭車座席の軽量化(E2系タイプへの交換)などが行われていた。編成番号はF80番に

こちらは長野オリンピック終了後も東北・上越新幹線の定期列車に使用されていたけど、長野新幹線への臨時乗り入れが行われることもなく、昨年6月に廃車となった。
200系の長野新幹線への乗り入れは、オリンピックの時が最初で最後となった。 あさまの方向幕は、白地だった。

1999(H11)年3月29日には、K47編成を皮切りに、耐用年数10年延長によるリニューアルが行われ、2002(H14)年1月までに12編成が改造された。リニューアル工事は、塗装変更、前面ガラスの交換、客室の改良 普通席はE4系、グリーン席はE2系に準じた座席への交換、車内案内装置等の新設、トイレの一部洋式化などとなっている。
リニューアル化された編成 K47、25、41、48、21、49、44、26、46、51、43、42 このうちのK25編成は、昨年10月の新潟中越地震で被災し、廃車となった。

1999(H11)年4月29日 つばさ号との併結相手にE4系Maxが加わり、200系が徐々につばさ併結運用から撤退する。同年12月3日をもって、200系とE3系こまちとの併結運転が廃止された。

2000(H12)年に入ってからは、リニューアル対象外の240Km/h運転対応の200系にも廃車が発生し、同年3月にK28編成が、4月にK29編成が廃車、同年暮れに、12両のF編成の2本(F30、34編成)にも廃車が出ている。 このうちのF30編成は、トップナンバーの編成だった。

2001(H13)年9月20日、200系がつばさ号との併結運用から撤退。本来の運用が無くなる。翌日からつばさ号との併結相手がすべてE4系Maxに

2002(H14)年になってからF編成またはリニューアルの対象から外された一部のK編成の廃車のピッチが上がり、2003(H15)年12月には、16両固定編成のH編成にも廃車が発生した。 最初に運用離脱された編成は、H2編成だった。

200系のH編成の置き換えは、E2系+E3系の組み合わせで行われていた。

翌年の2004(H16)年2月には、2000番台の2002号車の入ったH3編成が廃車となり、同年3月13日のダイヤ改正で、200系はリニューアル車を除き、定期運用から撤退した。

E編成(1982-1993)、F編成(1983-2007)、H編成(1990-2005)、G編成(1987-1999)、K編成(1992-)

200系オリジナル車両の方向幕 東北=紺色 上越=赤色 長野=白

16両のH編成。 昨年3月の定期運用終了後は、この年のGW輸送に16両編成のまま使用され、奇跡的に復活。 この後、H1、6編成が直接廃車され、残ったH4、5編成の2編成は、2階建て車両を含む4両の中間車を抜き、モノクラスの12両編成に組成。 この時点で200系の2階建て車が消滅。
12両編成に組成された2編成は、東北新幹線のみならず、上越新幹線の臨時列車でも使用されていたが、今年5月28日にH4編成(2000番台の先頭車(2001号車)を含む)、8月28日にH5編成が廃車となり、細帯入りの100系もどきの編成が全廃となった。 こちらは、デジタルATCが装備されることは無かった。H5編成=今年のお盆休みの多客期輸送が最後だった。この列車の末期には、カフェテリアの隣にトレインマッサージのコーナーもあった。 

200系の2階建て車両は、東北新幹線のみの運用で、上越新幹線に乗り入れることは無かった。 当時上越新幹線のホームの有効長は、12両分しか無かったので。

12両のF編成。昨年3月の定期運用終了後、専ら臨時列車で使用されている。

最後まで残っていたF8、17、91、93、80編成のうち F91、93編成(かつての275Km/h対応編成)は、4月16日、5月22日に、F80編成(前述の長野乗り入れ対応編成)が6月18日にそれぞれ廃車され、異彩を放つ200系が全廃。

現在、唯一残った先頭車改造のシャークノーズ(100系タイプ)のF8編成、オリジナルスタイルのF19編成の2編成が臨時列車で最後の活躍をしている。 後者のF19編成は、F編成で唯一DS-ATC装置が取り付けられているけど、先は長くないと思われる。上越新幹線のE1系Maxのリニューアル、DS-ATC化の予備車としても使用されている。

10両のK編成 これまでリニューアルの対象から外されたK28、29、23、22、45、50、24、27、30編成が廃車済 昨年3月13日のダイヤ改正で、原則としてリニューアル車に統一されたけど、K編成で唯一リニューアル化されずに残ったK31編成のみが、予備車として使用されている。

リニューアル編成のほうは、昨年5月から今年3月にかけてDS-ATC装置の取り付けが行われていた。 K31編成は、リニューアル編成のDS-ATC取り付けの時の予備車として使用されていた。
12両改造されたリニューアル編成のうち、K25編成は、昨年10月23日に発生した新潟県中越地震の時に被災したために廃車となり、残りの11編成が活躍している。

400系(1992年デビュー)

1990(H2)年、6両編成1本の試作車として落成。6両オールM車 上越新幹線で行われた高速試験で336Km/hをマークしていた。こちらは、JR東日本になってから登場した初のオリジナル新幹線となっている。 同時期に登場した、東海道・山陽新幹線の300系は、JR東海独自の開発となり、新幹線車両の開発も、東西で分離されるようになった。

足回りは、200系に準じた直流モーター車となっており、最高速度は新幹線区間、240Km/h、在来線区間、130Km/h

車体は、在来線を走るため、通常の新幹線よりも小型となった。LEDの行き先表示が試行されている。運転台に丸窓もあった。車体は普通鋼製 座席配列は、普通車は2+2、グリーン車は2+1となった。 トイレは、JR東日本のオリジナル特急の流れを受けて、和式が廃止され、洋式に統一された。
ちなみに、JR東日本のオリジナル特急のトイレは、1989(H1)年に常磐線に登場した、651系スーパーひたちの時からすべて洋式となっている。

1992(H4)年7月1日の福島~山形間の開業の時は、量産車11編成66両導入。試作車と合わせて、12編成72両で営業運転開始された。 量産車は、側面の表示が幕式となっている。
同時に試作車の量産化改造が行われ、丸窓が廃止された。
当時は、東京(上野)~福島間で、200系のK編成の8両との併結運転が行われていた。
当初の塗装=銀色系で、緑帯があった。
400系は、山形ジェイアール直行特急保有㈱による保有で、JR東日本にリースされて運用されている。
前身の485系旧つばさ号と同様に、福島~米沢間の板谷峠越えにも対応している。

1995(H7)年12月1日 中間車1両(T車)増結の上で7両編成に増結。 加速度が低下したため、ダイヤ改正後に順次7両化されていた。この時点で400系の製造が終了された。

1999(H11)年4月29日 つばさ号との併結相手が順次E4系Maxに変更される。2001(H13)年9月21日をもって完了。

1999(H11)年12月4日  山形~新庄間の開業 順次塗装がE3系1000番台と同じ白系に変更され、2001(H13)年までに完了していた。座席も交換。

試作車のほうは、後から導入された増結車を除き、LED式のままとなっていたけど、一昨年に量産車と同じ幕式となっている。

現在は7両編成12本84両活躍している。
この400系は登場から10年以上経っているので、今後の動向が気になります。

山形新幹線の400系は、山形新幹線だけでなく、東京~那須塩原間のなすの255、230号(那須塩原への回送間合い)にも使用されている。

奥羽本線(山形線)の赤岩、板谷、峠、大沢駅は、15年前の1990(H2)年までスイッチバック駅だった。 赤岩駅は、3月10日の改正で、板谷・峠・大沢駅は、9月1日の改正でそれぞれ廃止されている。 

さくらんぼ東根駅=1999(H11)年12月4日に開業した駅。これまでは、周辺に蟹沢駅という無人駅があった。

ミニ新幹線のメリットは、新線を建設せず、既存線を改軌し、設備を改良するだけなのでコストが安い。 新線建設だとトンネルの建設などで余計な費用が掛かるので。 在来線区間で、新幹線だとは思えないほどの緑の風景を楽しむことも出来ることもミニ新幹線ならではである。
乗り換え無しで、新幹線の高速区間、在来線の風景を楽しむことが出来るので一石二鳥である。あとは、フル規格だと駅やホームが離れてしまうという不便な面があるので、これまでの在来線ホームを生かしながらすぐに乗り込めるという便利なこともある。

デメリットは、車両の小型化により、輸送力が落ち込んでしまうこと、改軌工事により、在来線の線路が寸断されること、ダイヤの乱れが新幹線区間・在来線区間の両方に及んでくること、自然災害による運転休止の可能性が高いこと、踏切があり、危険性が高いことなどとなっている。

そのため、踏切のほうは、約半数が立体化されている。

新幹線区間では、フル規格新幹線の車両との併結運転によって補なわれている状態である。

長野新幹線は、高崎~軽井沢間がフル規格、軽井沢~長野間がミニ新幹線方式で開業することが予定されていたけど、長野オリンピックの開催を受け、全区間フル規格に変更されたという凡例がある。もしも予定通りにミニ新幹線方式となっていたら、小諸駅を通っていたところだった。 小諸駅へは、佐久平で小海線に乗り換えて行くことになる。
by hy_sengen-sin | 2005-10-24 15:10 | 鉄道車両・路線